2011年12月21日水曜日

ついに格言を作りました。

 ついに私も、年の瀬にあたり、格言を作るに至りました。若干パクリ的なところもありますが、自分ではオリジナルと思っていますので大目にみて下さい。
では第一弾です、

「人生は絆である、でも従属はしてはいけないし、させてもいけませんよ。」                            ---しんさま

「人生は絆である」と言い切った理由は、単純です。一人では寂しいからです。人はよく神様になりたいとか、全知全能になりたいとか、苦しみから救われたい、解放されたいとか思いますが、いざなったらどれだけ退屈か考えたことはありますでしょうか?苦しみがないということは、その対極の喜びとか幸せもなくなってしまうという事なんですけどね。だって苦しみがなくて喜びっばっかりだと、喜びが当たり前になって普通になってしまい喜べないんですよね。やっぱ苦しみがあっての喜びですよね。ですから、神から授かったこの「喜怒哀楽」っていうのは本当に大切にしないといけないなと、最近よく感じます。そして、それを味あわせてくれるのが人間関係なんですよね。物とか知識との関係でも味わえますが、ちょっと虚しいような気もします。人間という字は、人(ヒト)に間(あいだ)と書きます。つまり関係性が人間の本質であるという事でしょうか。個人と個人の関係、個人と環境との関係、そして家族、友人、地域社会、国家という感じで次元が一つづつ上がると「社会」という概念が登場して、今の文明に至っています。これらの繋がりの中で、喜怒哀楽を味わうのが人生ではないでしょうか?問題はその中での従属関係で、権力やパワー、お金などで人々を奴隷化(コントロール)する輩が多いということです。社会システム上、従属は避けられないとは思いますが、やはり人にコントロールされるのは嫌ですよね。ですから、従属したふりをして実はしていないというのが一番いい方法だと思います。そういう人が増えてくると、もしくは今現在たくさんいたとすると、最近国家元首がお亡くなりになった近くの国とか、最近恐ろしい国民コントロールが暴露されつづけている我が国が、どいう風に変わっていくかは結構注目すべき時だとおもいます。(^.^)

2 件のコメント:

  1. しんさまの格言。前半も後半もその通りです。まったく金言といっていいでしょう。
     お互い半世紀以上生きると自らも格言を生み出せられるものですね。

     ただし、どの格言も一緒だけど、言うは易し、実行は難しです。特に「従属」。考えれば意味が深い言葉です。用語としては明治以降の英語、subjectの訳ですね。ある対象(object)の、前に(sub-)身を投げ出す(-ject)が語源ですが、
     唯一絶対者の前にはsubject(従う)する。というのがそもそもの意味です。唯一絶対者(神でも宇宙の絶対真理・・何でもかまはないが唯一一つです)をobject(客体)に置き、そのもとで主体を確保する。がsubject「従属」の意味でしょう。

     じゃあ。それを全くなくし、唯一絶対を自分の主体の身にできるか?
     これは難しい・・はなはだ難しいことです。

     長くなるのでやめます。理屈っぽくなってすみません。

     ところで年末は楽しい旅行など計画されたますか?前、慰安旅行の代わりにスキーとか言ってましたが。
     私はいつもと変わらぬ日々です。茶飲み友達が誘ってくれれば別ですが。

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  2. 「金言」ですか!身に余るお褒めのお言葉ありがとうございます。
    そもそも、やまさんのブログがきっかけで生まれた格言ですので、共作に近い作品ですが、今のところ気に入っています。
     「唯一絶対」はゴールであり、スタートでもあるので、いずれ私たちの意識の内におとずれると思います。
     また、物とか知識との関係のほうが、変な柵がなく、より真実に近い関係が得られるような気もしました。

     年末はこれと言って予定はないのですが、妻が試験も終わり冬休みに入るので、遊びに連れ出されそうな気配はあります。年始は1/14、15とスキーツアーです。新潟県の「妙高高倉温泉スキー場」っていう所みたいです。無事帰れるといいのですが、車での長旅だしスノーボードにも挑戦してみようと考えていますので、無事に帰れるかどうか心配しています。もし不測の事態には、私の格言を世に公開して、世の中の役に立つことを祈念しております。ではお元気で(^o^)/

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