2012年2月24日金曜日

  光とは、一体何なのか?誰でも一度は考えたことがあると思いますが、日ごろあまり気にせずに生活していますよね。五感の中で視覚に大きく影響しているこの光ですが、無いと不便でしょうがないですね。視覚障害があっても、口で出す舌打ちのような音の反射を聞いて障害物や景色までわかる人がいますが、これは特殊なケースですね。人間の認識の手段は五感ですが、その扱う範囲で見ていきますと、まず触覚と味覚は、触ったり触れないとわかりませんから0㎝ですね、嗅覚は数mか数100mが限度でしょう、聴覚も同じで、爆発音ですと数kmがせいぜいでしょう。では、視覚はというと、角膜の表面の汚れから数万光年先の恒星や星座まで見えます。ですから他の感覚に比べ扱う範囲は広いですし、その情報量は桁違いに多い様な気がします。しかし、それが災いしてか、目で見える世界は非常に堅固な世界で、不変の現実として私たちの日常生活に確固たる地位を構築していますね。

  さて、通常ものを見た時にその過程は、どこからか来た光が物に当たり、反射して自分の目に入った光を視神経を含めた脳が認識し、映像として構築しています。しかしこの光、どこから生まれてどこへ行くのでしょうか?ビッグバンで生まれたとされる宇宙ですが、最初に出来た素粒子たち、その中で一番軽いのは電子だと思いますが、なんと光は質量が0で物質ではないとのことです。何か特別やな~。物質と反物質たとえば、電子と陽電子が出会って対消滅すると、数本のγ線という電磁波になります。ですから最後は光になるんですね。だから宇宙創造の最初も光だと思います。「最初に光ありき」ですね、これってだれか言ってましたっけ?

  世界の創造を考えた時、物質や意識を含めた宇宙のグランドデザインを描くにあたっては、まずどのような土台からスタートを切るかが極めて重要なポイントとなると思います。近代的な宇宙観においては、それは先験的に存在するとされた「時間と空間」でした。しかし、「存在とは知覚に他ならない」といった感覚論者バークレイに従うまでもなく、知覚抜きで外部の客観世界の存在を想定することはかなり無理があります。時間とか空間という場の内部に私たちが居るというよりか、私たちみたいな知覚機能を持つ実体が、先験的に存在させられているからこそ外部世界が存在する、と言った方が遥かに納得がいくような気がします。また、逆説的に考えると、時空は精神の延長としてみなせますが、精神は決して時空の延長ではないですよね。ということで、時空が先験的な存在でないとすれば、宇宙とは何かを考えるにあたっては、私たちの知覚を知覚たらしめている原初の知覚、つまり私たちの知的活動、思考、認識などの根幹に位置するもの、それは「光」としかいいようがないですね。光が時空を作り出している、そして、光とは見ることそれ自体であり、私たちそのものの事なのです。


まとめ: すべての始まりは光であり、光から全てが創られ、見る事それ自体が光である。つまり私たち自体が光だったんやな~。すごいな~。

2012年2月15日水曜日

自我

  自我って、普段はあまり使わない言葉ですが、自分のことですから知っておいた方がいいでしょう。

 ということで、定番のWikipedia を読もうとしたが、出だしからチンプンカンプンなので、やめることにした。ではちょっとさみしいので、私流に考察してみる。私の場合「自我」=「枠」です。自分の範疇という所ですね。本来無限なるのもが、ある枠を作り個別性を設けた、つまり永遠の眠りから目覚めた意識が、何かを認識した時生まれた個別性のことです。わかりやすく言えば「全体」と「部分」の事ですね。宗教的に言えば、「創造主」=「神」、の分身といったところでしょか。今の人間から言えば自分の肉体と精神というかもしれません。自分の安全保障、つまり生存欲、食欲、性欲などが生まれる基盤ですね。その後、快適性、感性、知性そして五感の情報処理、肉体の管理、環境の管理、肉体の進化、精神の進化、達成、成就へと拡大していくと思います。

  さて、人は生まれたすぐは、自分としての自覚はなく成人するくらいまで、ひたすら自我の形成に励みます。しかし、成人して社会に出て人生の辛酸をなめるようになると、自我が苛立ちを覚え、ひたすら自我の拡大に努める人と、自我をどんどん無くして大我つまり創造主の領域を目指すのものとに分かれると思います。どちらがいいという問題ではなくて、どちらも快適性を求めての行動だと思います。

  この自我の範囲ですが、物質的には自分の肉体でしょうね。では精神的にはどうでしょう?心で認識できる領域を考えてみると、自分の意識の中心から無限遠点まで伸びた点、今でいう宇宙の特異点まで行くことになります。物理学では約150億光年くらい先だと言っていますが、昔の点が今では150億光年先の球の表面になっているわけです。これはどういうことだかわかりますか?つまり、時間という概念をなくせば、点は球に表現でき、球は点と同じものに変換できるということです。つまり、意識の方向性を変えれば現実はひっくり返るという一つの象徴です。世の中が一瞬で大きく変わる一つのたとえです。自分の立ち位置が変われば現実の見え方が変わるということで、他人の見る世界も座標軸が違いますので、一人一人の見る世界は微妙に違った世界になります。決して他人が自分と同じ世界を見ることはできません。しかし、全員の座標軸を自分の意識の中に構築する、すなわち一人ひとりの視点が集まった球面を自分の座標軸の基準点にし、それを球から点に変換すれば、全ての人の集合意識から見た世界を見ることができます。この時、人は自分と他人の区別が無くなるときです。ここで、人間関係の問題という概念は消滅してしまいますね。すなわち自我の消滅です。

  さて、話が幾何学的になってきましたね。3次元で図解すればよく解るのですが、あえて文章という制限された中で表現してみたいと思います。まず、私たちの学校で学ぶ宇宙というのは、縦横高さからなる3次元座標に時間をプラスした4次元で表現されます。しかし、この時間というものは3次元空間の中のみならず、2次元、1次元でも存在します。たとえば一本線を考えてもここからあちらへと動けば時間が発生するからです。ですから、時間を4番目に持ってくる必要はなく、実は時間と空間は裏と表の関係、すなわち表裏一体もんなのです。ですから時間の経過を認識している私たちは、宇宙を見ると膨張しているように見えていますよね。それではまず空間認識を始めたいと思います。最初は認識の対象を原点として、無限大方向への拡大をψ1とします。次に無限大の特異点から対象の位置まで戻る方向をψ2とします。これが、今の科学が宇宙として扱っている領域です。今度は対象から自分という観測者への意識の方向をψ3とします。その観測者から対象までの意識の方向をψ4とします。これらψ3とψ4が作り出す空間は、主体と客体が存在する領域のことです。そしてそれぞれが作り出す球面が、精神球(ψ1)、感性球(ψ2)、中心球(ψ3)、表球(ψ4)といい、これらの球体を総称したものを5次元球と呼んでいます。次の写真を参考にしてください。


5次元球のイメージ



  これは意識の幾何学です。意識とは空間に反響するもので、ψ(プサイ)は次元観察子と呼ばれます。ちなみにψ5とψ6は人間自体の対化の領域、すなわち自己と他者が存在する領域です。
あとは、以下に整理してみます。



1. 次元観察子ψ1とψ2  : 人間の内面における対化(空間と時間が存在する領域) * 現在のユークリッド幾何学に相当
2. 次元観察子ψ3とψ4  : 人間の外面における対化(主体と客体が存在する領域)
3. 次元観察子ψ5とψ6  : 人間自体の対化(自己と他者が存在する領域)
4. 次元観察子ψ7とψ8  : 位置の変換と位置の転換(社会性と自我が交錯する領域)
5. 次元観察子ψ9とψ10 : 位置の等換と位置の融和(社会性と自我が対峠する領域)
6. 次元観察子ψ11とψ12: 人間の総体の対化(二つの社会性が対峠する領域)


  観察子には、次元観察子ψ意外に、空間観察子α と、大系観察子Ω があり、それぞれ同じように12等分されています。内容は追って紹介させていただきます。


  ゼロから始まった宇宙、最初に出てきた力は「負荷」といい、必ず作用反作用の法則で、その反対側への力である「反映」が生まれます。
負荷の源は「定質」と呼ばれギリシャ哲学では「イデア」に当たるものです。
反映は「物質世界」に当たるもので方向性は「性質」といいます。
その二元性のことを「対化」といい、この対化を再び一元性に統合する意味を「等化」といいます。そして、この「等化」に対する反作用を「中和」といいます。
精神」とは対化を等化する力そのもので、その精神の反対側にあるものが「付帯質」と呼ばれ、対化の中和に生み出される力そのもの。別名、「こころ」とも呼ばれるものです。


  ちなみに、私たち人間が観測している外部の物質宇宙は、私たち自身の意識構造の影だということです。そして、ミクロからマクロへ向かう空間には前次元の意識進化の流れ、すなわち、定質が映し出されているのです。一方、マクロからミクロへと向かう空間には定質の反映、私たち自身を生み出してきた性質の流れが投影されています。



2012年に起こることは、位置の中和です。そして、
2013年には位置の変換が始まり、ここで自我は消滅します。電子のスピンは反転し陽電子となる為、電気は使えなくなります。当然、地球上のコンピュータは全て機能停止になります。これらは対化の交差の全てが、全く別の物に変えられていくということです。



まとめ : 意識にカタチがあるなんて考えもしなかたですが、心とか魂とか、なんか泥臭いようなアナログ的な命題を、非常にすっきりした形で解き明かしてくれるこの理論は非常にユニークではまってしまいました。不可視のもののカタチを白日の下にさらけ出す、超越の光によって浮き出され、浮上してくるカタチの世界こそが高次元幾何学の世界なのです。





2012年2月14日火曜日

笑い

笑いって、何なんだろう?みなさん考えたことありますか?私もほとんど考えたことがありませんが、今回暇なので考察してみようと思います。

まず、定番のWikipedia では、「笑い(わらい)とは、楽しかったり、嬉しかったりなどを表現する感情表出行動の一つ。」とありました。わかりやすいですね。楽しかったり嬉しかったりするわけですから良いことですよね。でも、笑いを定義するのは難しいと冒頭にある。単純じゃないのだ。何故か?わからないので次を読む、
「ごく一般的には陽性の感情に伴って表情が特有の緊張をすること(笑顔)、同時に特有の発声(笑い声)を伴うこと、ぐらいであろう。普通は何か自分以外の対象があって、それから受ける印象に基づいて、それが好意的であれば表情に笑いがでることがあり、特に刺激的な場合には発声が伴う。さらに程度がひどくなると全身に引きつけるような動作が伴い、涙なども出る。」とのたまう。

なーんだ、肉体的な表現方法を言ってるだけじゃん。さらに読んでいくと笑いにも種類があるらしい。

含み笑い
薄ら笑い
せせら笑い
作り笑い
苦笑い
思い出し笑い
独り笑い
高笑い
馬鹿笑い
追従笑い
貰い笑い
誘い笑い


えらい多い。でもいい意味での笑いが意外と少ないような気がする。こうなってくると笑い自体が肯定的なのかどうかが疑問になってくる。ちょっと先走りしたので、「笑いの発達」に戻ってみる。

笑いの発達 
微笑は新生児においても観察され、覚醒時のみならず、睡眠中にも規則的な周期を伴って生起する。これは新生児微笑と呼ばれるもので、養育者の注意を引き関心を維持させる機能を担った生得的行動と推測されている。実際、新生児微笑に対して養育者は高い確率でポジティブな応答を返すことが知られている。このような相互作用の結果、乳児は生後2~3か月の頃から社会的交渉を持つために周囲の者に対して自発的に微笑を向けるようになる(社会的微笑)。


なるほど、本能ちゅうやつやな。


生理的な効果 

笑いによって自律神経の頻繁な切り替えが起こる。
この結果、交感神経と副交感神経のバランスの状態が代り、副交感神経が優位の状態になる。
副交感神経は、安らぎ・安心を感じた状態のときに優位で、副交感神経が優位な状態が続くとストレスが解消される。
交感神経は、怒りや恐怖を感じたときなどの異常な事態の時に優位になる。したがってその状態が長く続くとストレスの原因になる。
身体中の様々な器官に刺激が与えられる。
NK細胞(ナチュラルキラー細胞)が活性化しガンの予防と治療の効果がある。
自律神経の頻繁な切り替えによる脳への刺激により、神経ペプチド(免疫機能活性化ホルモン)が全身に分泌される。NK細胞には神経ペプチドの受容体があり、NK細胞は活性化される。NK細胞は癌細胞などを攻撃する免疫細胞のひとつ。
糖尿病の治療にも有効との研究がある。


ちょっと専門的でややこしいが、副交感神経が優位になって、ストレスが解消され、NK細胞が活性化しガンに罹りにくくなり、糖尿病にもいいのか・・・。

そして、極め付け、

医学的証明 


また、笑いというのは体にとってよい影響を及ぼす。笑うことで頬の筋肉が働き動くことにより、ストレスを解消し、また鎮痛作用たんぱくの分泌を促進させ、ストレスが下がることにより血圧を下げ、心臓を活性化させ運動した状態と似た症状を及ぼし、血液中の酸素を増し、さらに心臓によい影響を与えることから、循環器疾患の治療に用いられることもある。

すげ~、変な栄養剤や薬飲むより、バラエティー番組見て笑っていた方が、よほど健康になるんやな~。


そしておまけ、気が向いたら読んで下さい。

笑いについての研究
  • 古代
  • すでに古代ギリシアのプラトンには笑いについての考察がある。アリストテレスは『詩学』の中で喜劇も考察対象にすると書いたが、これは実現しなかったと見られている。
  • 古代ギリシャでは悲劇と喜劇が一作ずつ上演されるのが常であった。
  • 日本の文献で最も古い笑いの記録は岩戸隠れに於いてアメノウズメノミコトが神懸かったり踊っているのを見た神々が笑ったというくだりであろう。古代社会において笑いを含む芸能が、神や支配者を楽しませるもの、奉納するものとしての要素があったことを示している。。
  • 考古学的な資料(出土遺物)として、古墳時代の人物埴輪の中に笑った表情の埴輪が見られる。
  • 18世紀
  • ドイツの哲学者イマヌエル・カントは 「笑いは緊張の緩和から来る」 という有名な言葉を残した。
  • 19世紀
  • フランスの詩人シャルル・ボードレールは、有意義的滑稽(人間の振る舞いによって引きおこされるふつうの笑い)と、絶対的滑稽(グロテスクによって引きおこされる深遠で原始的な笑い)があるとした。
  • スコットランドの哲学者・心理学者アレクサンダー・ベインは、笑いとは、私たちを安心させる些細なこと、卑俗なことに接触による緊張した状態から逃れた状態である。笑わせてくれるまじめさ、荘厳さの形であるとした。
  • イギリスの社会学者ハーバート・スペンサーは、強い感情、精神や肉体という、笑いの一般的な理由として、他の筋肉運動と異なり、特に目的もない筋肉運動から笑いが構成されるということに注目するべきだと主張した。
  • 笑うのは動物の中でもヒトだけであると考えられてきた。しかし、進化論の提唱者であるチャールズ・ダーウィンは、オランウータンやチンパンジーといった類人猿をくすぐると笑い声をあげると書いている。
  • 20世紀
  • オーストリアの精神科医ジークムント・フロイトは 「ユーモアは自我の不可侵性の貫徹から来る。」 と説いた。
  • フランスの哲学者アンリ・ベルクソンは自身の研究『笑い』において、ボードヴィル演劇を素材として笑いの原因を考察した。ここでは「笑いは、生命ある人間に機械的なこわばりが生じた結果である。」 としている。
  • 日本でも、落語家の桂枝雀が、笑いは緊張の緩和によって起こるという「緊緩理論」を立てている。
  • 笑いには、免疫系のNK細胞(ナチュラルキラー細胞)の活性を高めるなどの健康増進作用があると言われている。
  • オランダの霊長類学者ヤン・ファンフーフは、笑いの起源と進化についての仮説を提唱した。笑いは微笑み(スマイル)と声の伴う笑い(ラフ)の二つに大きく分類でき、スマイルはサルの仲間が自分より強いサルに対してみせる「歯をむき出しにする表情(グリマス)」から、ラフはサルの仲間が遊びにおいてみせる「口をまるくあける表情(プレイ・フェイス)とそれに付随するあえぎ声(プレイ・パント/笑い声)」からそれぞれ進化したという(プレイ・フェイスは霊長類に広く見られるが、笑い声を発する種は限られる)。
  • 21世紀
  • 笑いに関わる脳神経機構が解明されつつある。



考察: ほとんどウィキペディアの引用でしたが、勉強になりました。こんなにいいもんならどんどん冗談やダジャレやネタを言って人々を笑わし、みんなで健康になれば素晴らしい社会になると思いませんか?私は今回、入社当時から職場で冗談ばかりいっていたら、真剣みがないとか言われて落ち込みました。でも今では話すたびにに冗談の言い合いです。職場の連れは鼾でうるさい人ですが、人間関係は円満です。しかし、この冗談一歩間違えばやばいときがありますね。常にリスクを伴うということですが、やはりいい薬も毒に似ていて、ほどほどに分量を守り人によって処方しないと大変なことになる、という事も心にとめておかなければいけませんね。「継続は力なり」、「笑いは健康なり」、「知識は明日を照らす光なり」、この調子でブログ書けば、結構いい勉強になります。でも、笑いの本質、結局何もわかりませんでした。(*_*)

2012年2月13日月曜日

のだめカンタービレ視ました。

   フジテレビのドラマで「のだめカンタービレ」、原作は漫画、映画化もされ後に続編もでた2006年位の番組です。クラシック音楽がテーマですが、視聴率がすごくて意外やな~と思いました。というのはクラシックで視聴率が稼げるなんてありえへんと誰でも思いますよね。しかしそれをやってのけたこの番組はすごいな~。当時、ちらちらテレビで見たように記憶していますが、数分程度でチャンネルチェンジしたような気がします。上野樹里のコミカルさが印象的でしたが、途中からみたためストーリーがわからずそれだけの物でした。ではなぜ、いまごろ全部見たのか?それは妻が「学校で先生が「のだめカンタービレの中で演奏されていた****の曲です・・・・」とか言っていたんやけど、何のことかわからないので調べたらテレビのドラマだったので、全部見ました。」とか言ってビデオを貸してくれたからです。さすがに6本なので3週間かかりましたが、やっと見ることができました。感想は、かなり面白いです。そもそも漫画だったのでそうでしょうが、真面目なクラシックがテーマでしらけそうな気配十分なので、コントラストを出すために面白くしたのだと思います。主演の上野樹里はかわいくて面白くてよかったです。よく考えると性格が妻とそっくりです。相手役の玉木宏は役の名前が真一なので、親近感を覚えました。この人靴下が苦手で普段は素足にサンダルだそうですが、靴のコレクターだそうです。私も最近オークションで4足ゲットし、ネットで1件、並行輸入で1件注文しました。まだどんどん増えそうです。きっかけは、普段ずっと履いている靴のインソールが少し剥がれたので、買い時かなと思ってネットで検索していたら、ハマってしまいました。通常4~5万するようなイタリアとかフランスの靴でも一万円ほどで落札できますし、新品で旧バージョンのはすぐに半額以下になります。15年前のヴィンテージものでもソールや皮はほとんど劣化は見られません。作りや素材がいいものは長もちするんですね。集め初めてまだ一ヶ月もたっていませんが、まだ冷めそうもなく、ちょっとやばい状態ですが、破産するまでには止むと思います。


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2012年2月8日水曜日

カモメがいました。

  本日、何気なしにベランダに出ると、田宮川の方角に白い鳥の集団が乱舞してました。10羽ほどはいたように思います。昨日やまさんが勝鬨橋で見かけたと言っておられましたが、こんな上流の川にいるとは意外でした。見ていると川の上どころか、街中の民家の中まで低空飛行し何かを物色しているような飛び方でした。今どき屋外で魚を焼く人はいないのに、何をさがしているのかなと思いました。海や川のほうがおいしい魚はたくさんいると思うのですが、もしかしたらこれから海になるこの辺の情報取集をしているのかなとか思ってビビッてしまいました。すかさずデジカメで撮りましたが、一枚撮るのがやっとでした。何とか5羽は映ってると思います。出来る方は拡大して見てください。カモメじゃないかもしれませんが、カラスよりかはましだと思いました。私的にはWelcomeです。ヽ(^。^)ノ

空に2羽、真ん中の建物の前に3羽います。