2011年6月6日月曜日

七つの意識状態

今回は意識について書いてみたいと思います。
意識っていうと最近では結構使う言葉ですが、いざ意味を述べよと言われると困ってしまう人も多いかと思います。ウィキペディアで調べると難しいことがいっぱい書いてあって、10行くらい読むと意識が朦朧としてきて、気絶しそうになったのでやめました。
もっと簡単にわかりやすく分けてみたいと思います。

1.目覚めの意識-----通常の日常生活で考え行動しているときの意識。
2.眠りの意識-----寝ているときの意識状態で、ほとんど自覚がない。
3.夢の意識-----夢を見ているときの意識。
4.第4の意識-----純粋な意識状態で、想念が出てくる源で、自分自身のみに気が付いているシンプルな意識状態。
 
通常は日常生活で、上記の1.2.3の意識を繰り返していますが、それぞれの通過点(ジャンクションポイント)として第4の意識があります。第4の意識は、五感、知性、感情、自我を超えた精神活動の原点で、想念が出てくる源なので純粋意識ともいいます。物理学でいう統一場と同等と考えられています。すべてのエネルギーと知性が出てくる場なので、0とか無限が共存しているワンネスの状態です。

5.宇宙意識-----純粋意識が完全に定着した状態で、1.2.3の意識状態と第4の意識を同時に経験している状態です。この状態は、仏教でいう悟りとか涅槃と呼ばれる状態です。この状態で、初めて自然法則に即した行動ができ、個人の考え行動は宇宙と同調しています。自らの内側では完全に満ち足りているので、悩みや苦しみはありません。また完全に自由な状態でもあります。

6.神意識-----5番目の宇宙意識では、自らの内側は無限性が確立していますが、見る対象の価値は、まだ表面価値しか見えません。神意識は見る対象の絶対的な価値までどんどん認識を深めていく段階です。無条件の愛が本当に実践されている状態です。この過程では、見る対象は黄金に輝いて見えるといわれています。いつもより景色が美しくみえたり、輝いて見えた時は一時的な神意識かもしれませんね。

7.統一意識-----見る者と、見る対象の価値が絶対的な状態に高まった状態で、つまり自分も対象も同じ統一場から生じていると理解している状態です。全ては自分自身だったと気づいている状態です。

ちょっと、気が遠くなりそうな話になってきたので、まだ先がありますが、ここいらでやめておきます。

健康な人間の定義は、5番目の宇宙意識の状態と思えます。なぜなら第4の意識状態もいいのですが、まだ体の生理状態が純粋意識に慣れていないのですぐに1.2.3の状態にも戻ってしまいます。1.2.3の状態が悪いと言っているのではありません、4の意識状態を維持しながら1.2.3を同時に体験する状態が理想だからです。なぜなら、全てを統一場から中立的に見ることができるので、偏りなく現実を見ることができます。
第5の意識状態は、自らの内側には100%の無限性が確立しているため、人に愛情を注いでもピンチを感じません。無限に与えることができるからです。それ以下の人の愛情といいうのは、与えてもだんだん自分自身のエネルギーが無くなってくるのでピンチを感じることになります。ですから、本当の愛とか献身は宇宙意識からといわれています。

よけいに難しく書いてしまったような気もしますが、もしこれが意識の進化の過程とすれば、結構まとまっているような気もします。


4 件のコメント:

  1.  しんさま、お久しぶりのブログですね。

     と、思ったら難しいテーマを持ってきましたね。
     1~7のレベルまで読んで理解しようとするのが精いっぱい、あれこれとコメントのしようがありません。

     ただこのような意識の階層の説明は、抵抗なく受け入れられます。7の階層まで上がれば、これ仏教でいう「梵我一如」とよく似ているなあ~、という、気がします。深く考えずに何となくね。

     5と7はそうゆうわけで私なりの理解ですが、6はちょっと思い当るものがありません。手掛かりがないから理解は難しいです。

     「意識」については実に多くのアプローチがあるんじゃないでしょうか。
     しんさまの意識についての話は、哲学、神学的アプローチのような、これも、気がします。

     でも心理分析的アプローチでも4レベルまでは同じと思うのです。
     フロイトが用いたように、「催眠」をかければどうでしょう?5レベルまで掘り下げれるような気がします。

     視点をかえて「意識」を留まらない流動するものとしてとらえる見方もあります。常に生成消滅を繰り返す、微粒子のようなものとして。
     そうなると固定した自我意識もあやふやになります。

     人類学的な考察も面白いです。猿人から旧人へ、いったい自我意識はいつから目覚めたのか。
     そして将来、コンピュータに自我意識を持たせることができるのか。

     「意識」へのアプローチは他にもありそうです。

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  2. やまさんコメントありがとうございます。
    ご指摘の「催眠」による宇宙意識はあり得ないと思います。イメージメイキングと、実際その意識状態を生きるのとは違うと思うからです。でも、ビジネスの世界とかで成功している人は、ほとんどイメージメイキングができている人のようですね。「催眠」はやはり現実を作るのでしょうか?わかりません。
     意識を微粒子として見るというのは斬新ですね。初耳の概念ですが、しばらく考えてみます。私は意識は波動のようなものとしてとらえています。高いほど高次意識になると思うのです。シンクロスコープと同じで、自分のクロック以上の波形(世界)は見ることができませんよね。足立 育朗さんの波動の法則は正しいと思っています。
     私の自我の定義は、「自分と思っている範囲=枠」と、とらえています。ですから、人間にしかないとかいう人がいますが、そんなことはないと思います。単に、定義の違いかもしてませんが・・・。

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  3.  しん様と違いわたしはぼんやりした理解なので確かに言えません。「流れる、微粒子」というキーワードもそのように私が表現しただけでよく理解する必要があります。

     ウエブで「阿頼耶識」を検索してくださいウィキペディアの説明がわかりやすいです。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%A0%BC%E8%80%B6%E8%AD%98

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  4. 「阿頼耶識」Wikipediaで見ました。どんな家かなと思ってみたら最初のサンスクリットという言葉以外は全く理解できませんでした。が、最後の方に

    三島由紀夫は、インドでのニヒリズムの体験が、自らが営々として築き上げてきた美学をいともたやすく一瞬にして微塵もなく破壊したのである(要約)。

    と書いてありました。そして、ニヒリズムを調べてみると、今日私がこれから適用しようと思っていた生き方が書いてありました。

    その生き方は、あのクリシュナムルティがおっしゃった次の言葉です。
    「もし人が恐怖から自由になりたいのなら、人は時間から自由にならねばなりません。もし時間がなかったら、人は何の恐怖も抱かないでしょう。それがお分かりでしょうか? もしも明日がなく、今だけしかなかったら、思考の運動としての恐怖は終わるのです。」

    そしてニヒリズムは、

    1.すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度(強さのニヒリズム、能動的ニヒリズム)。
    2.何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度(弱さのニヒリズム、受動的ニヒリズム)。

    です。

    しんさまは明日から、いえ今からニヒリズムで生きていきます。かっこいい!

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