2013年2月23日土曜日

新町川水際公園のおばあさん。

 仕事の帰りによく通る新町川の水際公園に、昨年の秋口から一人のおばあさんがよく座っていましす。私は通勤の帰りにここをよく通るのですが、夕方か夜勤明けの朝なので結構寒い。この日も氷点下近い気温の中、このおばあさんは厚着はしているもののジャンバーとこたつ布団みたいなスカートの重ね着のみです。さすがに顔が冷たい為か上着で顔を覆っているが、自転車で通ると肌が出ているところは突き刺すような寒さが堪える温度です。この寒さの中ここにずっといるということは安定した住環境はお持ちでないようです。トイレと水は近くにあるので何とか生理機能は満たせるものの、脇に置いてある手押し車には傘と衣類と日用品と思われる袋詰めと、レジ袋に入ったお菓子のみと思われる食料で、この寒さの中で数ヶ月過ごしているみたいです。春先とか夏ならともかくこの寒い冬に、なんでこんなところで過ごしているのだろうか、夜はどこか別の場所で寝ているのだろうか、もしかしてこの椅子でじっとしているのだろうか、いつもほとんど動かないが、よく見ると手元はなにかごそごそと動いている。何か書き物をしている時が多いみたいですが、何を書いているのかはわかりません。若干の小銭を計算していたようなときもあったので、なけなしの所持金の計算をしているのかもしれません。そのお金はどこから来たかは謎ですが、ある人からのお布施なのか、はたまた自分で稼いだお金なのか、もしかして実は大富豪の方だったりとか勝手な想像はできますが、この状況を見ると1万円くらい掴ませて、「これで暖かいものでも食べて乗り切ってくださいね」と慈悲の心を働かせたくなるのは私だけではないと思います。もし、この寒さでこの場所で、この装備でいたら私なら3時間は持たないと思います。しかし、この方はたぶん数か月ここでほぼじっとしていると思われます。一回だけ春の陽気で暖かくなった日に、このおばあさんが歩いているのを見ました。満面の笑顔を浮かべながら橋の方からこちらの方に駆け足で歩いていました。結構元気なところもあります。お菓子を食べているときも笑顔だったように思います。ゆっくりと味わいながら、一個づつかみしめながら笑顔で食べていたように見えました。もしかして、本人はこの生活に何の不便も感じていないのかもしれません。私から見れば最悪の事態ですが、この方にとってはこの生き方が一番楽で楽しい生き方なのかもしれません。何物にも縛られず、気温の変化も苦とせず、または耐え忍び、誰に気づかうでもなく自らの世界の中でただ時を友達に生きている。まさしく自然との一体化を具現し、もしかしたら悟りの境地に達しているのかもしれない。





失礼とは思いましたが、自転車走行中に撮らせていただきました。すみません。






4 件のコメント:

  1.  新町川ルミナリエを見にがてら夜のウォーキングをしたとき何度か私も見ました。

     どんな事情があるのか、そうするような人生観・哲学をお持ちなのかわかりませんが傍から見ているとこの極寒の季節などは心配になりますね。

     アフリカの貧困国なんか見ると多くの人が家なし仕事なし食べるものなし、の状態にすぐ陥ります。しかし、日本ではそのようなどん底に落ちないように底に救うネットがあると思われているのですが、それが働かないのか、はたまた本人の自由意志を尊重するのが先進国なのか・・・
     どちらにしても話を聞いてあげるような専門家、ケースワーカーのような人が係ってはいてほしいと思っています。そのような公的な専門家が
     「何か私でお手伝いできることがあるでしょうか?」
     の言葉は最低限かけていてほしいと願いますが。

     話が変わりますが、昨日の私のブログに出て来た某公共施設、本来はアカデミックな存在として歴史的に出発したものです。市民が広く利用できる主旨はいいんですけど、それが・・・これは私だけの偏見かもしれませんが、その施設を福祉施設と勘違いしている人も一部に入るようです。何せ朝9時から夜9時まで冷暖房付き、温水は出るし、ウォシュレットトイレもある。

     ビデオ視聴ブースは特定の人が占領、無料ロッカーは畳半畳もあるようなフレーム付きリュックを置いてある。そしてなぜかロッカはいつも同じ人が同じ大きな紙袋を入れている。
     スタッフは若くて優しい人ばかりなので声高に話してもあまり注意もしない。図書館の性格が少しづつ変わってきています。

     そもそもオープンに自由に利用できる福祉施設がないからこういうことになるのでしょうね。

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    1.  このおばあさんを見るたびに、なんとも言えない感情と神妙な気分にさせていただいています。
      人生とか生命の本質みたいなところまで、意識レベルが高揚して自分の生き方を顧みて反省するようなしないような複雑な気分になります。他人の人生をどうこうしようとは思わないのですが、共感できる部分を探っているような感じです。実際には同じ境遇に立たないと理解できないとは思いますが、結構近いところまで言っているような気もしています。いやいや、まだまだかな(^.^)

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  2.  そのような想像力ってすごく大切と思います。

     故事に『一炊の夢』というのがあります。人生の本質を悟るわけですが、そのきっかけとなったのは取るに足らない乞食のような道士でした。(この悟りは人それぞれで必ずしも共感できませんが・・)

     人は決して他人の人生をたどることはできませんが、豊かな想像力やシンパシーを持ち自分の人生に資する事はできます。

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    1. 他人の人生を見るというか、共感するのもいいですね!100%とはいきませんが、幾らかでも感じる事ができ、それを繰返していけば多くの人の人生を味わう事ができます。そして、それは全て自分の人生となるわけです。自分と他人の統合とは、このことかもしれませんね。(^^;)

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