2011年7月5日火曜日

 日曜劇場『JIN--』完結編、見ましたでしょうか?
すごいですね~。最後の結末っていうか結末はないのですが、からくりというか理論的裏付けが「パラレルワールド」でした。山本耕史が淡々と説明した時にはなるほどっていう感じでしたが、頭がついていけませんでした。ドラマ自体は毎回感動してよく泣いてましたが、最終回はなぜか泣けないというか、知性のほうが優先されて、感情はそっちのけっていう感じでした。まあ何とか平行世界の概念を取り入れると、何となくわかったような感じになりましたが、まだ騙されたような感じですね。
 平行宇宙の概念はいろいろあると思いますが、私のイメージしているのは、今もし何かに気が付くとすると、気が付かない場合の未来と、気が付いた場合の未来の二つのバージョンの宇宙が存在するというものです。そして、無数に枝分かれしていきます。ある日寝て起きた時には、別の宇宙にいるかもしれません。でも、その時の自分の意識はその流れでの意識なので、違和感なく生きています。自分というものが無数にいると考えると、結構面白いですね。そして、何かに気が付けば、つまり意識が変われば、そのような未来に行けるというか、そうなるのですからどんどん自分で気づいて想像して未来を作っていけばいいだけなんですよね。未来を変えるって意外と簡単なんですね。

4 件のコメント:

  1.  泡のようにたくさん生まれる宇宙、という「宇宙論」がありますがそれを考えると、真円のシャボンが楕円からひょうたんにゆがみ、2つの小さな同じ大きさの円形シャボンになることがありますよね。
     双子宇宙のように、そう考えれば同時並行の宇宙、あるいはしんさまのいうように途中で枝分かれすることも考えられますよね。

     ただ問題があります。たとえ小宇宙でも「宇宙」です。あらゆる法則、現象、がその中で完結して宇宙外へ出れないのではないかということです。もう一つは、宇宙に認識できる知性を持った何者かがいることが必要です。

     パラレルワールドには同じ顔かたちの人がいるわけですから、相互に認識は可能ですが、もう一つの、はたして別世界へ行けるのかが大問題です。
     階段から転げ落ちていけるのかなあ、と正直思います。

     しかし、これは「多宇宙論」の考えで、なにか別の霊的な、いや、そのような物理でははかれない、世界の展開もありうるかもしれませんね。

     未来を変える、歴史好きとしては、これ過去に適応させたい魔力に憑りつかれます。この考えは歴史好きにとって麻薬です。

     もしヒトラーが1930年代の初期に死んでいたら、世界はあんな悲惨が少なくなっていたのでは、あるいは満州事変でもっと近衛首相が積極的に米英協調を撮っていれば太平洋戦争も回避できたのでは、と妄執のような考えに憑りつかれます。

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  2.  そういえば、過去へ階段から転げ落ちて行けるとしたら大変ですね、真似をする人か絶えず、社会問題化してたかもしれません。
     洗濯機の中の泡も限りがあるように、並行宇宙も無限ではなく、ある程度の限りがあるようにも思います。ですから、3次元的に肉体をもった私の数は有限で、それを選択する意識は、波動的で柔軟なので移動が可能なのではと思っています。また人間も、一つの細胞から60兆もの細胞に増えてますが、一つ一つの細胞の遺伝子は皆同じで、心臓は心臓、肝臓は肝臓として自覚してお互いを侵さず連携してますよね。それと同じことが平行宇宙でも起こっているのではないかと推測しています。それらすべてを共有している何かがある、といったことも推測できますね。
     未来を変えようと思えば、現在を変えれば出来ますが、過去も現在を変えれば変わるみたいです。それは出来事を変えるのではなく、解釈を変えるという方法です。暗いと思った過去も、解釈の仕方を変えれば、すばらしい過去になる。結局、すべて、見る人の価値観によるという事でしょうかね。
    そうなると南方仁の肉体が過去に行ったり、未来に戻ったりするということはどういうこと?物質論でいくと不可能、でも物質は意識の投影と考えると可能かも、結局なにがなんだかわからない。そうだ、全てがバーチャルと考えると可能だ!色即是空、空即是色、諸行無常、不増不減。

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  3.  今日は7月7日、七夕ですね。
     残念ながら曇り空で一年に一度の逢瀬は難しいかもしれませんね。
     七夕は夜空の星のロマンなんですが、このあいだからもっと気になっているロマンがあるのです。七夕のロマンよりずっと素敵だと私は思います。

     それは本当に美しい愛のロマンの話なのです。
     私が深く信じている「転生」にまつわる愛のロマンです。

     平安中期、皇室にもゆかり深いある「阿闍梨」がいました。僧侶にしておくには惜しい美形で、当然、宮中の女御などの加持・護持僧としてもてはやされております。
     美形のお血筋なのでしょうか、お妹御も大変お美しい方でありました。

     お互い愛していらっしゃいましたが、ご兄弟の間柄、しかも僧侶、則を越えた愛など許されるはずはありません。
     いろいろ言い寄られる公達もございましたが、どなたにもなびかれず、胸に秘めた思いを互いに口にもすることなく、お妹さまははかなくなっておしまいになりました。

     秋の訪れとともに身まかられたお妹御の亡きがらに取りすがり、阿闍梨さまはお嘆きあそばしました・・・・・・

     その秘められた美しい愛はそこで終わるのではなく、実はそこから、千年にわたる「転生譚」が始まるのです。

     そしていろいろ転生は繰り返され、ようやく千年の時を経めぐり現在のご夫婦。

     そう、しんさま。あなたと奥様なのです。

     先ごろこのコメント欄でしんさまの転生の話を読みました。さらっとしたお話でしたが、こんな素晴らしい愛とロマンの話は見逃せません。このあいだから、その話が気になっていたのです。
     私がもし三島由紀夫のように文才があるのなら、「豊饒の海」のような転生譚に仕立てたと思いますが残念です。

     しんさまのあの話、本当にうっとりするほど美しい話ですね。舞台も平安朝、皇族の阿闍梨、美しい妹、などでてきて、もう私の妄想全開です。 

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  4.  年に一度の逢瀬ですか・・・。ロマンチックですね。夏の夜空のロマンあいにくの雨ですが、しっとりしてよけいに哀愁を誘いますね。
     私ごときの生い立ちを、壮大なロマンに仕上げていただきありがとうございます。しかし、やまさんのコメントを読んでいて鳥肌が立ったのはなぜでしょうか?
     「阿闍梨」という言葉は聞いたことがあったのですが、意味は知りませんでした。サンスクリットでアーチャーリャが先生という意味だとは知っていましたが、どうやら音訳みたいですね。
     この話実は、日本で唯一アカシックレコードが読めるという若月佑輝郎さんのリーディングを受けた時のものです。私も聞いた当時は、やまさんと同じロマンが脳裏をかすめたような気がします。また私の強いインド思考は、当時、天竺にあこがれ行きたくても行けなかった悔しい思いの現れだとも言ってました。そして今、その知識の本質を学べるのはインドではなく、この日本が一番適していたのではないでしょうか?そのような気がします。なるほどっていう感じですが、確かに妻との関係も友人というか、妹そのものです。
     ひょっとして、やまさんは阿闍梨時代のよきライバル(友人)だったのかもしれませんね。(^.^)

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