2012年4月21日土曜日

他人


  以前、「どんな願望でも達成する方法」とか、「私とは?」でちょこっと何か書いたような気がするのですが、「なんでも達成しようとする人間の欲望が怖い」とか言うコメントをいただいて、ずっこけたり、「神様の事じゃん!」とか言って簡単に終わっていたような気がします。そして、今日部屋を整理していたら、津留晃一さんのエッセイが出てきたので一つ御紹介しておきます。15年前に読んで理解している内容ですが、また読み返すとさらに深みが増します。3つともタイトルは違いますが、どれも同じことを言っていると思います。


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『他人はいない。他なるものはあなたの外側にはない』こんな言葉を100回聞いたとしても、人の思考は依然として他人に喜び、他人に思い煩います。我々の思考は記憶を材料として用い、流れていくからです。

名前(名詞)とは分割の結果つけられたものです。そんな分離、分割の結果を用いた我々の思考は、当然のこととして分離思考を形成してしまいました。本当に他人は外側には存在しないのです。思考はあなたに喜びを与え、葛藤を生み出します。三次元世界の二極的葛藤は、全てあなたの思考からやってきます。

あなたには払っても、払っても、振りほどけない恐れがあります。他人が外側にあると思っている限り、あなたは恐れから自由になることはないでしょう。それは不可能なことです。

  『他人はいない』とは、現実と思っているもの全ては、あなたの内側を反映した立体鏡にすぎないということです。そこで頭は考え始めます。「でも間違いなく現実はあるのだから、この現実の中のどこかに私を映しだす鏡の部分があるのだろう。その部分を探してみよう」と。でもこれは表面意識の考える思考の流れです。エゴは常にそう考えるのです。

そこであなたのエゴはこの現実の中から鏡の部分を探し始めます。きっとあると信じて探し始めた人は、自分のまわりから、ある鏡の部分を発見し始めるようになります。「あっ、そうかこの葛藤は私のこの考えから起こっていたのだ。よし、もうこんな考え方は手放そう」と。「あいつが悪い、あいつが悪いと思っていたが、俺を苦しめていたのは『裏切りはよくない』と思っていた俺の心じゃないか。そうか、わかった」と。人を責めなくなり、許せるようになったあなたは「そうかこれが幻という事か、自分の心が自分を責めていたとわかっただけでこんなに楽になるなんて」と喜びます。

『わかった』という思いはとても大きな喜びです。あなたの内側からわき起こる喜びの波動は、この地球のバイブレーションを引き上げるでしょう。きっとあなたのまわりを悦びの渦に巻き込む事でしょう。そんな至福感に水を差すような事になっては困るのですが、これもこの次元でのゲームであるということにどうか気づいていてください。悟りのゲームの途中であることに気付きつつ、そんなゲームを楽しんでください。

この喜びを現実と勘違いして、その喜びの渦に巻き込まれたままでいると、あなたの成長はそこで止まります。『自分はもうわかった』という考えが、あなたの落とし穴です。このゲームの考案者であるあなたは、かつて肉体を持つ前は天才でした。ゲームを複雑に難解にしようと、いろいろなところに落とし穴を用意しました。さあ、自分のゲームに挑戦してください。さんざん喜んだあげく『自分はもうわかった』という考えもそっと手放しましょう。

今気付いたあなたの悟りは、この現実のほんの一部分しか反映していません。しかしエゴは一部分を発見しただけで、自分はわかったと言います。そしてこの世が幻である事を理解したと思い込みます。ところがあなたのハイヤーセルフはそうは思っていません。幻とは部分のことではありません。本当にあなたの信じている現実はありません。

ところがこれを言うと、あなたの内なるサタンの部分がこう囁きます。「あんな言葉を信じて現実逃避をしてはいけない。ここは三次元なのだから、三次元を無視してはいけない」と。これは効き目があります。「我々は今肉体を持ってここにいるのだから、三次元をおろそかにしてはいけない」という言葉はとても迫力があります。その事は内側が知っているからです。その言葉が真実だからです。

そしてあなたはまた楽しくない現実に戻りかけます。でも一度覚醒の道を歩み始めた人はもう後へは引き返せません。ますます苦しくなるようハイヤーセルフは仕掛けてくることでしょう。あなたがもう一度現実とは何なのか、真実とは何なのか真正面から取り組まざるを得ない状況をつくってくれるでしょう。きっとこれを読んでいるあなたも今、そんな状態なのかもしれません。

もう一度言います。幻とは、全てが幻という事です。現実はありません。錯覚です。目を覚ませばそのことがわかります。『今、自分は幻夢の中にあり、幻想を現実と勘違いしているのだ』と決めてください。「この現実の中には、自分一人しか存在していなくて、自分に見えるもの、聞こえるものは全て自分の内なる世界が反映しているのだ」と決めてください。そうすればあなたの現実は本当に変わり始めます。あなたが信じていた現実は、ガラガラと音をたてて崩れ始めることでしょう。今がその時です。あなたが変わることによって地球は変わり始めます。輝く地球へと変わり始めます。あなたの地球にはあなた一人しか存在しないのですから・・・。

「言っている事はよく分かる。でもここはまだ三次元だから・・・。自分がその心境まで行ったらそうするのだが」こんないつものエゴのつぶやきに勇気を持って命令してください。「黙れ」と威厳を持って命令してください。今、決心してください。そうすればそうなります。自分が変わったら受け入れるのではなくて、受け入れたら変わるのです。逆はあり得ないのです。あなたが主人公なのですから。あなたが創造主なのですから。「その心境まで行ったら受け入れるのだが」という『たら』という条件をはずしてください。それは起こりません。永久に。もう一度言います。逆はないのです。あなたが決めたときそうなるのです。今、決めてください。決めて損をする事は何一つないのです。

『他人はいないのです』この真実を受け入れてください。あなたが全てです。あなただけが真実である事を受け入れてください。あなたがあなたの宇宙の総責任者です。他人と思えるものはあなたの被造物です。他人のことはあなたが決めてください。その人がどんな人であるか、あなたが決めてください。今まで通り、ひどい人と決める事もあなたの自由です。その人はあなたが決めた通りに振るまい続ける事でしょう。

『あっ、時間がない。3時の約束に遅れてしまう』人に迷惑をかけたくないあなたはこんな時、あせってしまいます。待たされる事が嫌いなあなたはこんな時、人を待たせる事を恐れます。「運転手さん、何とかならないかしら」と状況をコントロールし始めます。遅れないようにと最善をつくします。これまではそんなやり方がベストでした。他にやり方があるなんて考えつかなかったからです。『運転手さんも、待たされそうになっている人も幻です。他人は存在しません』という言葉を思い出したとしても『現にこのままいけば遅刻してしまうという現実が有るではないか』と主張したくなる気持ちもよくわかります。それが現実だと思っているからです。

でもちょっと待ってください。まだ遅刻したわけではありません。約束の3時にはまだなっていません。今あせっている心はまだ起きてもいない非現実の空想を恐れています。『遅れたらどうしよう』と混乱する心は、未実現の幻の中で喘いでいるわけです。

人の恐れは起きてもいない空想の中にだけ実在できます。しかし恐れはあなたをふりまわします。『車を止めて早く連絡した方がいいのではないだろうか、それとも近道はなかったか、イヤそっちの方が混んでいるかもしれない』と、心は忙しく走りまわります。あなたは『時間がない』と思った瞬間から、意識の照準を遅刻した時にピタリと当て、その事にフォーカスし続けてしまいます。あなたは遅刻に意識を凝集して、その現実を創造し始めている事には気がつきません。『困った、大切な約束だ。どうしよう』と焦るほどあなたはよりいっそう遅刻を現実のものとして引き寄せ続けます。

時間は無限にあります。あなたは時間を創造する力さえ、今この瞬間に持っています。ただ使ってこなかっただけです。いいえそれは違います。あなたはこれまでもずっとこの力を使い続けてきました。『時間がない、遅刻する』と心配して現に何度も何度も時間を縮め続けてきました。もう『時間がない』という想念の力で時間を縮めてしまう愚かな行為は止めましょう。

どたばたする心を静め、『時間は無限にある。遅刻の心配は遅刻したその時にすることにしよう』と安らいでいてください。本当に『あれ、とても間に合わないと思ったのに間に合ってしまった。これは驚いた』といった感動を、安らいでいる人は体験することを保証します。

「でも主人はいるとあなたは言います」。現にいると。それでも私は言います。主人がいるというあなたの考え方がそこにあるだけであると・・・。あなたの考え方は、あなただけが変えられます。もしこれまで彼がいることによって苦しみがあったのであれば、ちょっとの間。彼はいないという考え方を受け入れてみてはいかがでしょう。考えることではありません。単に受け入れてみるのです。彼はいないと決めてしまえばいいのです。

『彼はいない』と決めたあなたの世界で、今、心にストレスがあるとすればそれはもはやあなた以外に原因はなくなります。そうです。少しの間だけ、全てのストレスの原因を自分一人に起因させてみるのです。自分が宇宙全ての根本原因であると仮定してしまうのです。こうなれば後は楽です。もうあなたは誰にも責任をかぶせることが出来なくなりますから、肝が据わります。彼に意識が向かわなくなります。こうして彼の実在が稀薄になり始めます。彼に意識の焦点が合わなくなってきて、彼から混乱させられていた現実が遠ざかり始めます。

  あなたの外側に彼がいたらそうはいきません。彼を何とかしなければなりません。彼を懲らしめるための策略を練らなければなりません。彼から逃げ出すための準備が必要となるかもしれません。いずれにしても彼の事で頭が一杯です。意識の焦点が劣悪亭主に釘付けです。こうしてぐうたら亭主はあなたの中で、ますます肥大化してゆく事になるわけです。あなたの意識を向けたものが、あなたの世界に現実化されるからです。

  現実だと思っている全てが、あなたの被造物です。宇宙の全ての責任をとることを決意したあなたは既に宇宙の創造主です。あなたの思考により、あなたのまわりの全てが産み出されていることに気づけるようになってくるでしょう。あなたしか存在しない世界です。そんな世界に恐れがあるはずもありません。そんな自由な世界は単にあなたが決めることによって生まれます。新しい地球は、そんな自立したあなた方の再誕を待ち焦がれているようです。


2 件のコメント:

  1. このエッセイを読んでいて、若き日、出家して瞑想の末、悟りを開いた「ゴーダマ・シッダルタ(仏陀)」の悟りに至る心の過程を見るような気がします。

     そういう印象です。よくはわかりませんがインド系の哲学、宗教の到達点の「極致」とはこういうものではないのか知らん、と勝手ながら想像してしまいます。

     津留晃一さんだけではなく、インド亜大陸に歴史上、このような考えに達した人は多かったんじゃないかなとも考えます。

     ふと「梵我一如」という言葉も思い浮かびました。

    言ってることは十分理解はできますが、残り少ない人生で、私はこのような悟りには達せないだろうこともまたわかります。

     このような境地に達した人のそれからの生き様はどうなるのか興味はありますが・・・そんなことを言ってるから心の中で「他者」はなくならないんですね。

     しんさまはその「悟りの」過程のどの部分にいるのですか。

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  2. ご理解いただきありがとうございます。
    こういう事って、自分自身を客観的に見て、自分の価値体系を見ることができれば、あとは早いとおもいます。まずは気づか無ければ始まりませんし、始めなければ始まりません。「わかっちゃいるけどやめられない」状態がほんとうに解っている状態かどうかは微妙ですが、多くの方が全く拒絶状態なのに比べれば月とスッポンの差かもしれませんね。
     私の場合も微妙ですが、贔屓目に見て完成数7の手前の6、すなわちロック状態ですね。ロックされて身動き取れない状態、または反体制思考で欲求不満状態、メッセージを出すだけのストレス解消除状態でしょうか?ロックしているのならまだいいのですが、頂上を見失い失速して急降下している状態だと思います。地獄にまっしぐら状態ですね。Oh!My Good!I'm gonna to hell. (^_^)/

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