見方を変えれば現実が変わるというのは知っていても、自覚する事はあまりない様に思います。何故なら変わった時点でそれはその人の新しい現実となってしまっているからです。忘れっぽい人は前の状態と比較ができないでしょう。ちなみに、このプロセスを故意に論理で行おうとすると非常に大変です。その例として、高次元科学からみた解釈を記載してみました。味気ない表現ですが、意識とか心とか純粋に主観的なものを、幾何学という客観的な手法でうまく体系立てていると思います。でも、なかなか現実の認識として馴染むまでにはいきません。とにかく解る範囲で頭に焼き付けていくしかないように思います。その暁に新しい世界観が生まれてくることを期待しています。
人間の肉体とは?
定質と性質の交差が、反性質における感性球の次元に反転させられ投影を行っている状態を意味します。
性質とは?
人間が生み出されている状態そのものです。
定質とは?
オリオンが作り出した進化の方向性そのもののことです。
反性質とは?
プレアデスが作り出す意識進化の方向性のようなものです。
反定質とは?
人間が悪と呼ぶ概念に似ています。プレアデスが進化を失っている状態です。
善と悪は存在するのでしょうか?
善悪はタカヒマラの外面においてのみ働くものです。内面においては定質と性質に変わります。これは善や悪といった概念で捕えられる働きではありません。
スマルとは?
オリオンとプレアデスの関係が完全に転倒したところに生み出されている虚無のようなものです。進化の無限性の反対側に存在させられています。
男と女とは?
人間の肉体における男性性と女性性は妙性質における対化です。オリオンにおけるプレアデスと、プレアデスにおけるオリオンの関係に相当します。
セックスとは?
タカヒマラにおける変換作用が、人間の意識によって反転させられて現れているということです。シリウスが反転した働きという言い方ができます。
エクスタシーとは?
進化の調整を行っているところではないですか?人間の意識に現れたシリウスの位置です。
受精、受胎とは?
人間の覚醒作用が反転したのもではないですか?太陽と同じものです。
宗教とは?
変換期の知識を人間の意識が歪曲化させたものです。
空間とは?
次元観察子ψ1、つまり精神球です。オリオンの力がプレアデスの中に反転させられているということを意味します。定質の凝縮化といういい方もできるでしょう。
時間とは?
次元観察子ψ2、つまり感性球に相当するのではないかと思います。
感性球とは?
性質が反性質中に反転して現れている部分です。反性質においては、定質と性質の関係が精神球と感性球に相当します。
空間と時間の関係は定質と性質の関係に等しいと考えてよいですか?
はい。あなた方が意識している空間と時間とは精神球と感性球の関係と同じです。すなわち、定質と性質がタカヒマラの外面に進化を投げかけているということです。
p.s. これらが理解できると、人間型ゲシュタルトから変換人型ゲシュタルトに変わったということになります。シリウス曰く、「変換人型ゲシュタルトとは、あなたがた地球人が21世紀以降に持つ空間認識プログラムです。現在の地球人の空間認識は歪曲しています。その歪曲が正しい宇宙的理解からあなたがたを遠ざけてしまっているのです。その歪曲を正常な状態に戻す働きが変換人型ゲシュタルトの役割です。」
確かに現在の人類の文明を見ても、体たらくというか、歪曲しているような気がします。
歪曲が好きな人もいるかもしれませんが・・・・。(^.^)
私が理解のできる範囲でコメントします。
返信削除といっても序文・前書き以外はわかりませんでした。
まずしんさまの書かれた
『自覚する事はあまりない様に思います。何故なら変わった時点でそれはその人の新しい現実となってしまっているからです。忘れっぽい人は前の状態と比較ができないでしょう。』
ですが、これは難解なように思っても私にはわかる気がします。まえに「唯識論」を話しましたね。その中に『阿頼耶識」というのがあるのです。こちらも難解で私ごときの理解の埒外と思ったのですが、ある人がろうそくの火に例えました。それでよくわかりました。
燃え続けているろうそくの火は同じであって同じでなく、瞬時瞬時を宇宙からつまみ上げた「微粒子様」も粒子から成り立ち、それも瞬時瞬時に後方へ消えていく。
じゃあ、連続している自分はないのか!なんなのか?
唐突ですがこの考えは、しんさまの上記のフレーズと重なるのです。
さて次に
『主観的なものを、幾何学という客観的な手法でうまく体系立てていると思います。』
と書かれています。これも理解できます。
まず、そもそもは、幾何学は測地測量の必要から生まれ、古代はそのようなものと思われていました。
ところが古代末にトレミーなどが現れ、幾何学と「天文学」が何と結び付けられるとわかったのです。
そして時代はうんと下って17世紀、関係ないと思われていた分野の「代数学」が、これまたデカルトなどにより幾何学と結び付けられることがわかりました。円。楕円などの幾何図形は代数の円の方程式などと等価がわかっていますね。
つまり数学史中で、大きな変化があるとき幾何学は「天文学」「代数学」と結びついてきました。
だから、「主観的なもの」(これが何を意味するかよく私にはわかりませんが)そのようなものと「幾何学」が結びつき新たな発展をとげるのは・・しんさまの上記では早、体系立てていると述べてますから、もう確立しているんですね。
とまあ、理解というより、そのような感想です。
長いからたぶんスパムですね。
「唯識論」に関しましては、以前紹介しましたプラトンの洞窟の比喩のたとえにあるようなイデア論と似てるように思うのですが、掘り下げて勉強していないのでよく解りません。概念的には「この世には裏と表があり、その中で変化しないものは無い」でいいような気がします。物事はあまり複雑に難しくしないほうがいいですよね。球を何涸か書いて、重ね合わせたような幾何学で全てが説明出来たらいいですね。この理論がすべての事象に当てはめて、成り立つなら本物という所でしょうか?
返信削除また、トレミーさんっていう方がいらっしゃったんですね。古代ローマの天文学者、数学者、地理学者、占星術師とのことで、興味深々です。48星座の名付け親だったとは・・・、紹介ありがとうございました。(^.^)