美とは?という問いに対して浮かぶ格言は、「美は小なり」とか「美は見る人の目にあり」くらいですが、どちらも意味は理解しているつもりでした。「美は小なり」は、たとえば世の中の女性が全員佐々木希ちゃんみたいでしたら、それが当たり前になってしまい、久本雅美さんがもてはやされるかもしれませんぞという事でしょうか。つまり、美というのは希少価値に基づくものという事でしょうね。「美は見る人の目にあり」は、主観の問題と受け取れますが、時代や場所・文化によっても違いがあるという事も含まれると思います。平安時代はともあれ、30年前の美女は今では?ですよね。でも、これら二つの格言から言えることは、美の側面は見えても本質は見えてこないですね。
さて、人が何かを美しいと思った時、心は知性を越えて、感性の領域で高揚していると思えるのですが、たまに数学者が方程式で美を感じたり、科学者がロジックで美を感じたりすることもあろうかと思います。音楽や映像は一般の方が美を感じるのによく使う感覚ですし、味覚とか嗅覚も日常的に美とまではいきませんが、好き嫌いを感じている感覚ですね。
美の定義は Wikipediaで調べても愛と同じく明確にはされておらず、真理とか善とかも関係するみたいでややこしいです。
この投稿はやまさんの「夕景の緑」に影響を受けて書いてみたのですが、あまり進展がなく、愛とか美とかを語るのは10年早いといわれそうですね。でも、上の二つの格言から整理してみると、価値を認めたものが非常に希少なものであった場合に、それを美というのではないかと思いました。価値を認めるという行為は「愛」そのものですから、言い換えれば「愛の濃縮版が美である」とも言えるような気がします。濃縮という表現が嫌な方には濃厚版、いや局所集中版とかどうでしょか?やっぱよけいに顰蹙を買いそうなので、最後に「愛の密度の濃いのが美である」とさせていただきます。
さて、人が何かを美しいと思った時、心は知性を越えて、感性の領域で高揚していると思えるのですが、たまに数学者が方程式で美を感じたり、科学者がロジックで美を感じたりすることもあろうかと思います。音楽や映像は一般の方が美を感じるのによく使う感覚ですし、味覚とか嗅覚も日常的に美とまではいきませんが、好き嫌いを感じている感覚ですね。
美の定義は Wikipediaで調べても愛と同じく明確にはされておらず、真理とか善とかも関係するみたいでややこしいです。
この投稿はやまさんの「夕景の緑」に影響を受けて書いてみたのですが、あまり進展がなく、愛とか美とかを語るのは10年早いといわれそうですね。でも、上の二つの格言から整理してみると、価値を認めたものが非常に希少なものであった場合に、それを美というのではないかと思いました。価値を認めるという行為は「愛」そのものですから、言い換えれば「愛の濃縮版が美である」とも言えるような気がします。濃縮という表現が嫌な方には濃厚版、いや局所集中版とかどうでしょか?やっぱよけいに顰蹙を買いそうなので、最後に「愛の密度の濃いのが美である」とさせていただきます。
ごきげんよう。ブログ、久しぶりですね。しんさまのブログは数少ないけど、いつも内容が深遠なものが多いですね。私のブログは反対に粗製乱造です。
返信削除私もしんさまの結論に同調します。「美」と漢語で書けば何か哲学的匂いがしますが、本来の日本語の「うつくし」と「いつくし」(今、慈しむ、という言葉で残っている)は本来、同系の言葉と思うのです。
「いつくし」はしんさまのいうような、「愛」とみていいと思います。
もう少し、この「いつくし」の愛についていうと、
その対象を見ると、もうほうっておけない、どうにかしてあげたい、いてもたっても居られないものです。
それは恋い焦がれ身を焼く様なものに発展するもので、単に「愛でる」から「所有したい、犯し、いやいや、もういっそ破壊して自分とともに滅ぼしたい」という範囲までそれは広がると思うのです。
これはエロス的美というんでしょうか。
しん様、もし小説を読むお時間があったら、三島の「金閣寺」を読んでみてください。
「美」をいつくしむあまり結局その対象を破壊せざるを得ない青年層の話ですが、しんさまの結論が主題のような気がします。
何事もほどほどがよいようで「美」も没頭すると身を滅ぼす元ですね。
スパムで消えているようです。
返信削除やまさんコメントありがとうございました。
返信削除googleシステムの過酷な中、このコメント自体が美を象徴しているような気がします?
さて、「美」は漢字で「羊が大」と書いて「大いなる犠牲」という意味みたいですね。私の思う「希少なるゆえに愛おしい=慈愛」とは、ちょっと違う意味みたいなので、理解に苦しんでいますが、すこし分析してみます。
人が何かを美しいと感じた時は、見る人である主体は消え失せ、見る対象の客体にとらわれている状態と思われます。つまり、「美=自我の消滅=最大の犠牲」という論理が成り立つと思います。よって一安心です。
三島由紀夫さんの小説は読んだことがないのですが、最期のニュースは衝撃的でしたので、リアルタイムで知ったことを覚えています。美の行きつく先が、自我の消滅とか、対象の破壊とかになるのは関心しませんが、三島文学には興味がありますので、「金閣寺」はぜひ読んでみたいと思います。ありがとうございました。
やまさんのブログへの投稿も、スパムになっているみたいです。
返信削除どうも私は自分の求めるものや欲望、衝動的な感動に極めて忠実なようです。それと深い論理的思考が苦手なことと相まって、目先の衝動的な「ああ、」とでもいうような嘆息・感動が「美」ではないかと、短絡的に思ってしまうのです。
返信削除だからわたしの「美」を掘り下げると「エロス」が噴出してきそうです。
実はこのような方向での「美」論はかみ合わない気がします。人それぞれ違いますから。
むしろしん様がいった、数学公式、黄金分割、などの美、プラトンのいう「美のイデア」のような、普遍的、永遠な「価値」としての「美」あるのか?という問いが、共有できるまな板にのせられるようですね。
でも、それじゃ、面白くない。まさに、糞だ。
長いコメントはスパムに引っかかるんですかね。それじゃ、私、しんさまのコメントは危ないですね。
返信削除また、スパムで消えてます。
これもどうかな?
やまさんコメントありがとうございます。
返信削除私も、前から長いコメントはスパムになるんだなと思っていましたが、今回ではっきりしましたね。この前は、アカウントを別に作ってやっとアップできたのですが、その後、昔のアカウントもアップできるようになりました。なんでだろ~。
「エロス」は私も関心がありますので、投稿でアップしようと思っています。