tag:blogger.com,1999:blog-9045150569995593297.post8295484805915421730..comments2022-03-30T23:04:03.042+09:00Comments on しんたまのブログ。: 私とは?Anonymoushttp://www.blogger.com/profile/14732417980966689433noreply@blogger.comBlogger4125tag:blogger.com,1999:blog-9045150569995593297.post-20919250700666503202012-04-01T00:10:56.881+09:002012-04-01T00:10:56.881+09:00唯識論のご紹介ありがとうございます。
聞いたことはあったんですか、あまり深く追及していませんでした。...唯識論のご紹介ありがとうございます。<br />聞いたことはあったんですか、あまり深く追及していませんでした。潜在意識の取り扱いがおもしろそうですね、ユングの理論と合わせて研究してもいい様に思いました。(^.^)Anonymoushttps://www.blogger.com/profile/14732417980966689433noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9045150569995593297.post-12435784158014254992012-03-31T18:46:26.417+09:002012-03-31T18:46:26.417+09:00かなり難しい自我論の一種だと思うのですが「唯識論」というのがあります。私も興味があり知りたいと思いま...かなり難しい自我論の一種だと思うのですが「唯識論」というのがあります。私も興味があり知りたいと思いますが理解は進んでいません。<br /> ごく簡単な概論はこれで知られますから、参考に覗いてください。<br /><br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98yamasanhttps://www.blogger.com/profile/04701848152987255658noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9045150569995593297.post-19986996137078153062012-03-31T14:19:03.681+09:002012-03-31T14:19:03.681+09:00やまさん結構考察してたんですね。
よく考えるとやまさんは煩悩をかなり捨ててますよね。
物欲、所有欲、...やまさん結構考察してたんですね。<br />よく考えるとやまさんは煩悩をかなり捨ててますよね。<br />物欲、所有欲、金欲、権力欲、性欲?、生存欲、潔癖欲?かなりの物をお捨になっている、現代聖の権化のような気がしてきました。<br /><br />さてこの投稿、最初は「私とあなたの関係」として書いていたんですが、「私」のところだけで結論っぽいことになってしまったのと、夜遅くなって眠たくなったので、「私とは?」にして終わらせました。「あなた」=you がでてくると、話がさらにややこしくなるので、追って考察してみます。(^.^)Anonymoushttps://www.blogger.com/profile/14732417980966689433noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-9045150569995593297.post-91920950676922868652012-03-31T08:33:23.434+09:002012-03-31T08:33:23.434+09:00昔から難しい哲学的問題ですね。いろいろな視点から考えられますね。
言語から考えると、英語はご存知...昔から難しい哲学的問題ですね。いろいろな視点から考えられますね。<br /><br /> 言語から考えると、英語はご存知のように私は「I]以外ありません。これは見事なくらい徹底しています。乞食だろうが王様だろうがみんな「I]、<br /> 対する日本語はもう無数、俺、わらわ、愚僧、拙僧、みども、わい、僕、朕・・・<br /> <br /> 思うに日本語は世間・社会に対する関係で「私」を規定してます。英語のようにたった一つの「I]はないですね。<br /> それだけ日本では「私」は「内に向かうものでなく」「外から規定定義されるもの」という意味が強いような気がします。<br /><br /> ただし、英語のような「I]も日本では考えられています。瞑想の宗教、禅などでは「我」を考えます。「我」というと一般的には利己的と思われて嫌われますが、禅ではそんな意味じゃないですね。英語の「I]に近いものだと思います。<br /><br /> もちろんしんさまのおっしゃるのは後者の「私」ですが、現実に暮らす我々は常に前者の「私」から逃れられませんよね。私のなどは早々と(わかいうちに)その分裂に苦しみ、世捨て人として生きる道を選びました。というのはかっこいい言い訳です。<br /><br /> さて、後者の「私」ですが、2つ考えましょう。<br /> 一つは「絶対者」に対するただ一つのものとしてその前に存在する「私」<br /> もう一つは全く何もないところに唯一存在する自分。<br /><br /> て・・またぐだぐだ書いて、しんさまうんざりしてると思います。スパムの可能性もありますので、今朝はこの辺でやめます。<br /> 何を言いたいのやらわからん!お許しください。yamasanhttps://www.blogger.com/profile/04701848152987255658noreply@blogger.com